2011年03月17日

被災。

3月11日、小生はたまたま仙台市内の某事業所へ出張でした。

先方2名、こちら2名の計4名で打ち合わせをしていたら、突然大きな揺れが。
とにかく机の中に避難。
これまで体験したことのない長い揺れの後、すぐに避難。
携帯電話の類だけ持って、工場の2階(といっても普通の建屋の3階に近い高さ)に避難したのでした。

そこで発電機を使ってテレビを点け、情報収集したところ・・・。釜石や気仙沼、大船渡の津波の状況が映り、驚くばかりでした。ただ、この時点ではそれは他人事のように思えたわけですが。

見張りから「津波が来るぞ!」の叫びが。
慌ててさらに高いところへ避難したところ、津波の水が流れ込んできて、周囲の車やコンテナなどを文字通り洗うようにもみくちゃにしたのでした。
雪が降る中で津波が治まるのを待っていたところ、第一波はとりあえず引いたようなので、一旦工場の2階に戻った・・・途端に第二波が。慌ててまたさらに高いところで待機。
ようやく第二波が落ち着いたところで、工場の2階へ。そのまま、一夜を過ごすこととなったのでした。


翌朝、水が引いたので、状況を確認しました。
打ち合わせをしていた場所は屋根と柱だけが残り、いろんなものが流失。
私もコートとかばんとカメラと財布を失いましたが、命あっての物種ですので・・・。
事業所の方々からしてみれば、車を失ったのがかなり痛手だったように思えました。
ただ、奇跡的にその会社の金庫が発見されたことで、私も仮払金の恩恵に与ることができました。


最終的には、12時くらいに自衛隊のご案内でその場を脱出。
途中までは徒歩で移動したのですが、そこで見たのは、やはり表現しようのない凄惨な光景なのでした(写真自粛)。そして、自衛隊の車で多賀城市内の避難所に難を逃れたのでした。

そんなこんなで避難した避難所も、明らかにキャパあふれの状態で、自家発電用の重油は切れ、ガスはなく(=お湯がない)、食糧は乏しく、かなりまずい状況でした。
さりとて、前日に比べれば寒くなく、食糧もきちんともらえたということで、無論贅沢を言える筋合いなどあろうはずもありません。
多少は落ち着いて、一緒に訪問した方と訪問先の会社の方(避難所がご自宅に近かったので)の3人で、二晩目を過ごすこととなったのでした。


日曜日、朝から情報を収集した結果、新幹線は当分動きそうもない雰囲気で、食糧などの物資を余所者の私たちが消費するというのもどうだろうという考えもありまして、何とか山形あたりから帰ろうかということと決め、現地の方と別れて、まずは仙台の市街地へ向けて徒歩で出発しました。

途中、津波警報による足止めもありましたが、岩切駅あたりまできたところで流しのタクシーを発見。流しのタクシーなどというものがあることには驚きましたが、当然、駅まで走ってもらうこととしました。そして、会社の支社に到着。ここで、ようやく会社にきちんとした安否の連絡をすることができました・・・。

ただ、支社にいたところで何かできるというわけでもなく、早々に山形方面へ出発。
山形へはバスがあるらしいということでバス乗り場へ行ったのですが、バス会社曰く1000人待ちということで、やはりここでも流しのタクシーを捕まえて、山形方面へ走ってもらいました。

車内でも情報収集をした結果、山形市内に向かったところで、山形市内から先の移動に支障が出そうな感触。なので、行き先を庄内(酒田・鶴岡)に変更してもらい、最終的には鶴岡まで走ってもらいました。
タクシーの運転手としても、買出しができるエリアへの賃走はうれしいらしく、ありがたいといわれましたが、ありがたいのはむしろこちらのほうでした。
その夜は、現地の方に申し訳ないと思いつつ、やっぱり酒盛り・・・。


そして月曜日、新潟経由で会社へ出社(停電とか何とかあったみたいなので)。
何とか無事に帰ってきました。

冷静に考えると、詳細は書きませんが幸運が3つくらい重なって生き延び、さらにタクシーという幸運が2つくらい重なってすんなり帰れたわけで、被災した中では相当運が良かったほうだと思います。
まずは、あの日あのとき、時間を共有した現地の方々が普通の生活に戻れるために、今の自分の立場でできることを精一杯やっていく、それだけだと思います。



posted by karesansui50 at 00:00| Comment(0) | その他もろもろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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